こんにちは。フクロウ改めオフィスABUの安部浩行です。
ご愛読いただきましてありがとうございます。
東京ケアウィーク第2弾です。どのセミナーも素晴らしい内容でしたが講義の方の内容を自分なりに解釈し言い換えています。
私は、小学校の時は勉強もできない、運動もそこそこで肥満にもならない小太りの子供でした。弟がいて優秀で、頭もいい走るのは早い、親にとっては自慢の子供でした。
その時、よく聞いたセリフがあります。「浩行の割にはよくやった」「兄ちゃんも頑張ったな」
特に運動会の後などにこのセリフでした。
本人を傷つけない褒めているつもりでしょうが、スタンダードは自分にあります。決して認められているわけではありません。
だから、「◯◯君の割にはよくできた」と言う言葉はその人を馬鹿にしていると思っています。部下にも使いませんでした。
よくスポーツ選手が、「敵は自分です」と言いますがそれはそのスタンダードが最高基準にあるからです。自分が後ろの方いれば敵は前にいる人です。
仕事ができなければできるようになることで、結果が評価されないといけません。結果がでなくても仕事に対する姿勢や頑張りを評価しても意味がありません。
今回、セミナーで「(株)識学」の講義題目は、本当の意味で社員の生産性をあげる組織運営とは?の中にも上記の内容もありました。
職員を変えるためにマネジメントも変わらなければならない。言い換えれば、中間管理職が正しい方向性に導いても社長が邪魔して意味がありません。
識学さんでは「良かれと思い」という表現を使っていました。
「良かれと思い発した言動や行動が組織の中に誤解や錯覚を発生させる」
具体的な「誤解」「錯覚」を発生させる言動や行動とは
1.部下のモチベーションを上げるために何かを「与える」こと。そのことで部下が頑張るのであれば「与える」ものがなくなった時に部下は頑張ること止める。
2.結果がでなくても、仕事に対する姿勢や頑張りを評価すること。
3.部下に背中を見せるため、自ら率先垂範すること。
4.仕事を協力して連携して行う時の責任者が重複すること。
頑張らせるための理由が必要でありそれは明確なルールであること。ルールが曖昧な場合に離職がでる。
私は、チームは個人の集合体であると考えてきました。個人で行うべき業務ができるかどうかはハッキリしておく必要があります。つまり、手伝ってもらってできた業務はできないと評価しないとおけません。
できると評価しまえば、一人対応する時に問題が発生します。ですから手伝うなと指示を出していました。できなければ、対策を立てます。
業務の評価をどう行い、どう対応していくのかはいろんな意見がでると思います。情けもはいれば、組織上の事情もあることでしょう。
しかし、基本的にこうあるべきだというものを持って取り組むとの漫然と行うのでは年月がたてば大きな差が生まれます。
手元での1°のずれが数キロ先では何メートルの開きになるように
最後に、もう一つの不安材料は職員の自己評価です。結果がでていないのに満足することです。評価とは他の人がするものであること社内では明確にすべきと考えます。
最後までお読みいただきありがとうございました。